2014年9月10日水曜日

●都営霞ヶ丘アパートの歴史と移転強制の経緯



・1946年 100戸の都営住宅として長屋形式で同地に出来る。周辺には、兵舎跡、将校会議所跡などを改造し、戦災者や引揚者が居住する。併せて200~300世帯。
・1962年ごろ~1966年ごろ 国立競技場でのオリンピック開会式など、東京オリンピックを迎えるための再開発により、都営住宅が建て替え(10棟300戸)になる。現在の敷地にあった兵舎・将校会議所の居住者も霞ヶ丘アパートに入居する。
また、都立明治公園の創設や高速道路の敷設などにより、同アパートへの移転を余儀なくされた方もいた。アパート建て替えに際しては、土地の払い下げを求める意見などもあった。アパート内には、マーケットが作られた(現在も存続)。
・1981年ころ 9号棟・10号棟に、風呂場・1部屋の増設の大規模工事。
・2012年2月~3月 コンクリート劣化調査。都市整備局は「問題なし」と町会に伝える。
・2012年7月1日 東京都都市整備局(都営住宅経営部住宅整備課)による営繕工事説明会 
・2012年7月13日 第二回JSC主催国立競技場将来構想有識者会議にて「都市計画の見直しを図る範囲について、都営アパートの敷地を加えることを口頭にて説明」(第三回有識者会議議事録より)したとされている。しかし、その用途の説明はなかったと思われる。また、当日提出された資料には、この点(関連敷地)についての記載は「調整中」として書かれていない。東京都都市整備局は、霞ヶ丘アパート移転の計画を7月半ばに知った、と公言(2012年8月26日都の説明会などにおいて)。
・2012年7月19日 東京都から霞ヶ丘アパート役員会(町会)に移転の要請。町会としては寝耳の水の出来事。(以後、8月末までに10回以上の役員会への交渉が行われる。)
・2012年7月? 東京都がアパートに「移転のお願い」を配布した模様(資料1)。しかし、この文書に、日付はなく、不明な点が多い。
・2012年7月20日 JSCが新国立競技場国際デザインコンペ募集要項(資料2)を発表。霞ヶ丘アパート敷地が「関連敷地」として公園・広場などに使われるとの記載。
・2012年8月26日 東京都主催移転説明会。多くの住民が参加し、反対意見が多数。都側は「国策として決まっている」「計画を変えることはできない」とくりかえす。
・2012年11月15日 第3回JSC有識者会議にて、ザハ・ハディド案が採択される。
・2012年11月27日 JSC主催住人説明会。住民から「霞ヶ丘町を日本地図から消そうとしている。人権の問題である。」「この早急な進め方は何か。住民をなんだと思っているのか。」などの意見。(JSC編集による議事録)(資料3)
・2012年12月12日 JSCより東京都に「東京都都市計画地区計画神宮外苑地区地区計画」が、渋谷区、新宿区、港区を経由して提出される。霞ヶ丘アパートはA3地区として都市公園(第5・7・18号明治公園。都市計画上の明治公園で、競技場や絵画館球場などの外苑全体)に含まれ、「外苑前駅から新スタジアムへのバリアフリールートの整備を図るとともに、公園・広場等の整備を図る」場所とされる。(資料4)
・2012年12月20日 神宮外苑地区地区計画に東京都が地権者として同意(資料5)
・2012年12月28日 神宮外苑地区地区計画に東京都が都道管理者及び公園管理者として条件つきで同意(資料6)
・2013年2月22日 東京都による神宮外苑地区に係る都市計画案の説明会(資料7)
・2013年4月ころ 小学生など転校をともなう約10世帯の百人町アパートへの移転。
・2013年5月17日 東京都都市計画審議会において「神宮外苑地区計画」が審議される。この件に関する質問は1つのみ。(資料8)
・2013年6月17日 「神宮外苑地区計画」が東京都において決定される。
・2013年年11月頃 東京都の斡旋により、約30世帯が霞ヶ丘アパートより主に都営百人町アパートに「早期移転」が行われる。
・2014年6月13日 JSC主催新国立競技場基本設計(案)概要説明会。
・2014年6月~7月 稲葉奈々子研究室による霞ヶ丘アパート全戸への意識調査。回答数41票のうち、このまま霞ヶ丘アパートで暮らしたい、という回答が32票。(資料9)
・2014年7月15日 「霞ヶ丘アパートを考える会」都知事へ要望書、記者会見(資料10)

今後、2014年10月頃に、約30世帯が百人町アパートへ第2回「早期移転」を予定。現在約150世帯。

*資料1~10 http://tinyurl.com/on6scev